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東京地方裁判所 昭和40年(刑わ)4531号 判決 1966年7月21日

主文

被告人関義則および同伊沢寛を各懲役一〇年に、

被告人岩橋芳春を懲役八年に、

被告人甲野太郎<仮名―以下同じ>を懲役五年以上八年以下に、

それぞれ処する。

被告人らに対し、未決勾留日数中各一五〇日を右各本刑に算入する。

被告人らから、押収にかかる日本刀一振(昭和四一年押第三六五号の一)、あいくち様刃物一本(同年押第三六五号の九)および切出しナイフ一本(同年押第三六五号の一〇)を没収する。

訴訟費用は全部被告人らの連帯負担とする。

理由

(被告人らの経歴)

被告人関義則は、本籍地の中学校卒業後、福岡市で運送会社の運転助手をしたのち、昭和三七年七月ころ上京し、貨物自動車の運転助手などをするうち、組織暴力団住吉会の一員となったもので、この間、少年時代に恐喝および暴力行為等処罰に関する法律違反により中等少年院に送致されるなど、数回の非行歴がある。

被告人岩橋芳春は、唐津市の中学校を卒業し、家業の硝子販売店を手伝うかたわら約一年間商科専門学校に通学したのち、自動車修理工、硝子店店員などを転々とし、また、一時家業にも復帰したが、昭和三八年五月ころ、被告人関義則と知り合ってともに上京し、関が兄事する住吉会幹部森川茂のもとで自動車運転手をしているうち、昭和四〇年九月末ころから関の舎弟として行動をともにするに至り、この間、道路交通法違反の罰金の前科が三犯ある。

被告人伊沢寛は、本籍地の中学校を卒業して大分県立舞鶴高校に入学したが、窃盗などの非行を機に東京都町田市の玉川学園に転校し、その後同都内中野の国際電波高等学校に転じ、昭和四〇年三月同校を卒業し、国際学院短期大学に進学することとなったものの、同短期大学には一日も通学せず、この間、昭和三八年一一月ころから組織暴力団極東組坂倉智の若い衆となったが、昭和四〇年四月ころ、同人と縁を切り、同年五月初旬から被告人関義則の舎弟となって、同人と行動をともにするに至ったものである。

被告人甲野太郎は、本籍地の中学校を卒業後職探しに上京し、都内の喫茶店など約三〇ヵ所を転々としていたもので、この間、極東組に所属したこともあったが、昭和四〇年五月初旬から被告人伊沢寛とともに被告人関義則の舎弟となり、留守番や使い走りなどをしていたものである。

(罪となるべき事実)

第一、被告人関義則は、昭和四〇年三月三〇日ころの午後一〇時ころから翌日午前六時ころまでの間、東京都新宿区東大久保一丁目四五〇番地塚田アパート内小川俊雄方四畳半の間において、鳥羽泰が、賭場を開設し、坂倉智ほか数人の賭客をして、花札を用いて俗に「バツタ撒き」と称する賭博をさせ、寺銭名義で金銭を徴して利を図った際、数回にわたって中盆の役をし、もって、右鳥羽泰の犯行を容易にさせてこれを幇助し、

第二、右賭博に際し、被告人関義則は、賭に勝って鳥羽泰に対し金九三万円を貸付けた結果となったところ、鳥羽が貸付金を他の賭客からきびしく取り立てるとその賭客から警察に密告されることをおそれ、鳥羽との間に、他の客にはきびしく取り立てないことを条件として、右貸付金を金二〇万円に減額する旨約したものの、その後、鳥羽において、約旨に反し、同人の賭客に対する貸付金をきびしく取立てたため、賭客の警察への密告により、右賭博の事実が発覚し、関係者が逮捕される結果となり、また、鳥羽が逮捕されるにあたり、同人は、被告人関に対し、中盆の役をつとめたことをいわないことを約束したのに、その約旨に反し、取調官に被告人関が中盆の役をつとめたことを供述したため、被告人関も逮捕され、賭博開張図利幇助罪で公判請求されるなど鳥羽が違約を重ねたので、被告人関は、鳥羽に対して憤慨し、保釈出所した際、先に免除した貸付金の残額金七三万円も全額支払うよう要求し、再三同人を呼び出してきびしく請求した結果、鳥羽もこれを支払うことを諒承した。しかるに、鳥羽はそのごく一部を支払っただけでその大部分の支払につき誠意を示さなかったので、被告人関およびその輩下の被告人岩橋芳春、同伊沢寛は、鳥羽に対しますます憤慨し、強硬にその支払を迫り、結局、昭和四〇年一二月二九日に金一〇万円を支払うのを第一回目とする割賦払いの約束をさせるに至った。

ところが、鳥羽は約束の昭和四〇年一二月二九日に金策ができなかったので、同日午後四時ころおよび午後六時ころ二回にわたり、輩下の蛯原健を介して、被告人関に支払を翌日まで待ってもらいたい旨電話連絡させた。右第二回目の電話を受けた被告人関、同岩橋および同伊沢は、その直後、肩書住居の居室において、鳥羽の態度にいよいよ激昂し、被告人関は、被告人伊沢に対し、その所有の刃渡り約六五・七センチメートルの日本刀一振(昭和四一年押第三六五号の一)を渡し、これを携行して鳥羽の住居に乗り込み、刃傷を加えてでも同人を被告人らの居室に連行して来いと命じ、被告人岩橋に対し、被告人伊沢と同行するように命じ、更に、被告人伊沢および岩橋との間で、もし、その際、鳥羽またはその輩下の者たちが抵抗するようであれば、同人らを殺傷することもやむを得ないと話し合い、もって、右被告人ら三名において、鳥羽およびその輩下の者たちに対する殺傷の共謀を遂げたうえ、被告人伊沢において、前記日本刀一振のほか刃渡り約一二・六センチメートルの切出しナイフ(同年押第三六五号の一〇)一本を携行し、被告人岩橋において、刃渡り約一九・四センチメートルのあいくち様刃物(同年押第三六五号の九)一本を携行し、被告人伊沢および被告人岩橋の両名がタクシーに乗車して肩書住居を出発し、直ちに東京都新宿区西大久保二丁目二六〇番地佐野アパート内鳥羽方に乗り込んだが、同人は不在で、留守番の輩下の者も抵抗しなかった。そこで、被告人伊沢は、抜身の日本刀を持って土足のまま右居室に上がり込み、被告人岩橋とともに鳥羽の帰宅を待った。やがて、被告人関の命で、被告人甲野太郎も、鳥羽方の様子を見に来て、被告人伊沢および同岩橋に対し、被告人関が呼んでいると告げたところ、被告人伊沢は、前記日本刀を示し、この刀に血を吸わせなければ帰れないといい、被告人岩橋もこれに同調し、被告人伊沢および同岩橋において、被告人甲野も鳥羽方に止まるように命じたので、被告人甲野も、これを承諾し、鳥羽方で同人の帰宅を待つことになったのであるが、そのころ、留守番の輩下の者の口から、近所の麻雀屋にいる鳥羽の舎弟野口勝(当時二一年)が鳥羽の行先を知っているかも知れないことが判明したため、被告人甲野が被告人岩橋からその所携の前記あいくち様刃物の交付を受けて、留守番の一人久門博昭とともに右野口を迎えに行き、同日午後八時すぎころ、野口を連れて前記鳥羽の居室に戻って来た。そこで、被告人岩橋および同伊沢は、被告人甲野をして前記刃物を持たせて二名の留守番の見張りをさせ、野口に対し、鳥羽の行方を追及したが、野口は知らないと答えたうえ、被告人伊沢が土足のまま上がったことに文句をつけ攻撃的態度に出たため、ここにおいて、被告人伊沢は、やにわに、ベッドの中に隠してあった前記日本刀をとり出して、殺意をもって、野口の頭を一回切りつけ、被告人岩橋も、殺意をもって、逃げ出そうとする右野口を抱き止めたり、連れ戻すなどし、被告人甲野は、被告人伊沢および同岩橋の右犯行を目撃して、その場で右両名に加担することを決意し、右両名に呼応し、殺意をもって、所携の前記あいくち様刃物で野口の右肩や右側胸部下端を突き刺すなどし、よって、野口に肝臓、左右肺および胸部大動脈損傷などの傷害を与え、同人をして、その場で右傷害により失血死するに至らしめ、もって、殺害の目的を遂げたものである。

(証拠の標目)≪省略≫

(弁護人の主張に対する判断)

被告人関義則の弁護人は、被告人関義則が、当初、かりに鳥羽泰を傷付ける意図を有していたとしても、その際、被告人甲野太郎との間には、なんら共謀関係がない、被告人関は、被告人伊沢寛および同岩橋芳春の出発約一時間後に、被告人甲野をして、鳥羽泰方に赴かせ、被告人伊沢および同岩橋の両名を迎えにやらせたことにより、実行の着手前にその犯意を中止したものであり(これは、被告人関が、本件犯行がなされた当日、板倉克方で被告人岩橋と右犯行後初めて会った際、同被告人をなじったうえ、暴行に及んでいる事実からも明らかといえる)、その後の鳥羽方における被告人伊沢、同岩橋、同甲野らの行為は、同被告人らの独自の行為であるから、被告人関には責任がない、また、かりに、被告人伊沢および同岩橋らの行為について、被告人関に責任があるとしても、被告人関と被告人甲野とは共謀関係がなく、被害者野口勝に対する致命傷たる右側胸部刺創は、被告人甲野の行為によるものであって、被告人伊沢および同岩橋の行為によるものではなく、被告人関の被告人伊沢および同岩橋との共謀と右被害者の死亡との間には因果関係が中断されたものであるから、被告人関は被害者の死については責任がない旨主張する。

よって、判断すると、(罪となるべき事実)第二事実につき挙示した証拠を総合すれば、同判示第二の事実を認定できるのであって、なるほど弁護人主張のように、当初被告人関と被告人伊沢および同岩橋との間に同判示の殺人の未必的共謀が成立した際には、被告人甲野は、これに加わっていなかったのである。そこで、被告人関が被告人甲野を鳥羽方に赴かせた行為が、共犯者の実行着手前犯意を抛棄し共犯関係から脱落したものといえるかどうかについて考察すると、≪証拠省略≫によれば、被告人甲野太郎は、被告人関に命ぜられて、鳥羽泰方に赴いた際、被告人岩橋および同伊沢の両名に対し、単に、「ちょっと呼んでみますから」という程度の軽い呼びかけをしたにすぎないことが認められるに止まり、かえって、判示のような経過で、被告人伊沢および同岩橋の両名の日本刀に血を吸わせなければ帰れない旨の犯意継続の意思表明に簡単に同調したことが認められる。このことから見れば、被告人甲野の行為は、判示のような共謀の経過で、殺人の未必の故意をもって鳥羽方に乗り込んでいた被告人伊沢および同岩橋の両名の犯意を確定的に抛棄させるだけの影響力を持つ言動をしたものとは認められず、被告人関の真意も、むしろ、判示のとおり、被告人甲野太郎をして鳥羽泰方の様子を見にやらせた程度で、せいぜい、鳥羽泰が早急に帰宅する様子がなければ一応食事にでも戻ってこいと伝えさせたにすぎないと解するのが自然である。したがって、被告人関が被告人甲野を鳥羽方に赴かせた行為を弁護人の主張のように実行着手前の犯意の抛棄と解することはできない。つぎに、判示認定のとおり、被告人甲野が被告人岩橋および同伊沢の両名と鳥羽方で待機するうち、判示のような経過で、被告人岩橋、同伊沢および同甲野ら三名が現場で共謀し、共同して野口勝に対し、同判示の所為に及んだことにより、被告人関と被告人甲野とは、当初被告人関、同伊沢および同岩橋間に成立した共謀と右現場における被告人伊沢、同岩橋および同甲野の共謀、共同行為を介して、順次の共謀が成立したと解するのが相当である。そして、当初の共謀をした被告人関は、この共謀にもとづいて、実行者である被告人伊沢および同岩橋がその現場で被告人甲野と共謀し、これら三名の者が現場において実行した行為についても、順次の共謀者として、共謀共同正犯者としての刑事責任を負うべきである。したがって、弁護人主張のように、被告人関と被告人甲野とは共謀関係がないとの主張およびこれを前提とする被害者野口の死亡につき被告人関は責任がないとの主張は、いずれも、その理由がない。

なお、≪証拠省略≫によれば、被告人関は、本件犯行後約二時間を経過したころ、板倉克方において、右犯行後初めて被告人岩橋と会った際、同被告人の顔面を手拳で殴打している事実が認められる。しかしながら、右の各供述および供述記載によれば、被告人関は、その際、右板倉克から制止されて、右暴行をとりやめた後、程なく右板倉方を被告人岩橋とともに辞去したうえ、同被告人および被告人伊沢、同甲野、被告人関の妻関きぬ子、被告人岩橋の内妻らとともに、都内五反田の喫茶店ビクトリヤに赴き、同所において、被告人伊沢、同岩橋、同甲野に対し、本件犯行は、被告人関が鳥羽泰に対して有する判示の賭博を原因として発生した債権の取立とは無関係に発生したもので、かつ、被告人関において、右犯行には、何等の関連がない旨を、警察官等の取調べにつき供述するよう指示したうえ、被告人伊沢に対し金一万円を、被告人岩橋、同甲野に対し各金五千円を手交している事実が認められるのであって、この認定事実のみに徴してみても、被告人関が、本件犯行と密接な関係があったことをうかがうに足り、したがって、前記板倉方において、被告人岩橋に対し、前記のような暴行を加えた事実をもってしては、判示の認定を覆えし難く、弁護人主張のように、被告人関において、共犯者たる被告人伊沢および同岩橋との間の共謀につき、被告人甲野をして、被告人伊沢および同岩橋を迎えにやらせた行為により、共犯者の実行着手前に、犯意を抛棄して共犯関係から脱落したものと認定することは、到底できないのである。

(法令の適用)

被告人関義則の判示第一の所為は刑法第六二条第一項、第一八六条第二項に、同二の所為は同法第六〇条、第一九九条にそれぞれ該当するところ、判示第二の罪については所定刑中有期懲役刑を選択し、判示第一の罪は従犯であるから、同法第六三条、第六八条第三号にしたがい法律上の減軽をなし、以上は同法第四五条前段の併合罪であるから、同法第四七条本文、第一〇条により重い判示第二の罪の刑に同法第四七条但書の範囲内で法定の加重をした刑期範囲内で処断すべく、その余の被告人らの判示第二の所為は、いずれも同法第六〇条、第一九九条に該当するので、所定刑中いずれも有期懲役刑を選択し、その刑期範囲内で処断すべく、なお、被告人甲野太郎は少年であるから、少年法第五二条第一項本文、第二項をも適用することとする。そこで情状について考えてみると、判示第二の犯罪の罪質が極めて重く、その犯行態様も、被告人らがいずれも暴力団組織に属していて、賭博に原因する貸付金の取立をめぐる紛争に端を発して、日本刀その他の兇器を使用し、さして責むべきところのない被害者を殺害したという悪質なものであって、被告人らの刑事責任は、重大であるといわなければならない。これに、各被告人らの経歴、家庭の事情、本件犯行後の改悛の情その他諸般の事情を参酌したうえ、被告人らをそれぞれ主文第一項記載の懲役刑に処することとし、刑法第二一条を適用して、被告人らに対し未決勾留日数中各主文第二項記載の日数を右各本刑に算入すべく、押収にかかる日本刀一振(昭和四一年押第三六五号の一)およびあいくち様刃物(同年押第三六五号の九)はいずれも被告人らが判示第二の犯行に供したものであり、また、切出しナイフ一本(同年押第三六五号の一〇)は同じく判示第二の犯行に供しようとしたもので、いずれも被告人ら以外の者に属さないと認められるから、刑法第一九条第一項第二号、第二項を適用して、いずれもこれを被告人らから没収することとし、訴訟費用は、刑事訴訟法第一八一条第一項本文、第一八二条を適用して、全部被告人らの連帯負担とすることとする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 真野英一 裁判官 外池泰治 友納治夫)

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